2008年10月11日

あら、思ったより

母親が退院してからようやく会うことが出来た。

ただいま、と声をかけると、お帰り、という返事。
話しかけると、的確な返事をして、とても調子が良さそうだ。

ちょうどお昼ご飯はこれから、というところ。今回のお土産の山を広げ始めたら、ご飯よりもそちらが良さそうな感じ。

妹が、前回のお土産も冷蔵庫から出して欲しい、と言うので、出してお皿に盛り付ける。京都菓匠 清閑院の抹茶くず餅。

くず餅もおいしいのだけれども、同封されていた黒蜜と黄な粉のおいしいこと。いずれも甘すぎず、上品な甘さ。

母親に食べさせると、かなり食いつきがいい。皿を持たせて、自分でスプーン持たせると、むさぼるように食べていく。見ていて気持ちがいいくらい。

結局、ペロリと完食。

こんなに元気なら安心安心。




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2008年08月29日

タルセバ投与中断

帰ることができなくなったので、電話で妹と現状の確認をする。

ここのところで、タルセバの投与が中断になったとのこと。どうも腫瘍マーカーがあがっているので、効き目がないと判断されているようだ。

ただ、前回のMRIから日があまり立っていないせいもあるが、転院してからMRIも取らずにタルセバを止めてしまうのは、どうかとも思う。

副作用が出る可能性もあるのだが、ここでタルセバを止めてしまえば、病状悪化を止めるものはもう何も無くなってしまう。

その意味でも、現在の病状をきちんと把握してからでも遅くは無いのではないかと思う。
posted by esese at 23:41| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月20日

もう個室

大部屋に入って、しばらくの間個室には移れないと思っていたところ、もう移動することができたらしい。

良かった良かった。
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2008年08月19日

お引越し

母親が病院を転院することになった。これまでの病院から、実家により近い病院へと、1時間近く介護用タクシーに乗ってお引越し。

これまで個室だったのが、いきなり大部屋の6人部屋。

早く落ち着けるようになるとよいのだけれども。
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2008年06月15日

いま一つの体調

妹から近況報告を受ける。

点滴が痛くて嫌がるようになったので、6/14からは内服薬(イソバイド30ml×毎食後)になったようだ。
前回病院に行ったときに気がついたのだが、右腕が紫色に染まっており、いかにも内出血を広範囲でしました、という状況だった。

聞いてみると、点滴の針を右腕、左腕、で2、3日おきに替えていたらしいが、うまく血管に挿入されていない場合があったようだ。6/12には点滴が漏れたし、6/13には、腕を動かすとすぐに針が血管に当たるようで、非常に痛がったそうだ。

確かに、血管も細く、固くなっているだろうから、何回も刺しなおしたりはできないだろう。
posted by esese at 17:26| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月12日

二転三転

夕方妹から電話がある。6/9から点滴が朝夕の2回になったらしい。これまで3回だったのが減らせただけ、いい方向に進んでいると考えたい。

これまであったようなひどい頭痛は減っているようだ。力が入らない時間帯があるようだけれども、寝て起きるとすっきりしており、ご飯もしっかりと食べているようだ。

次回、MRIは6/16に取ることになっており、6/17の脳外科の先生との診察には結果が間に合いそうも無い、と言うことだったので、6/24の脳外科の先生との診察で予約を入れてもらうことにする。
私も休みの予定を1週間、後ろ倒しにする。

が、帰りの電車の中で、脳外科の先生の診察までにはMRIの結果は出そうだ、今後の話は6/17に聞けそうだ、という連絡が妹から入る。

しかし、さすがにこれ以上スケジュールをころころと替えるのは、会社に対しても問題なので、父と妹で、まずは聞いておいてもらうことにする。
posted by esese at 23:57| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

病院二日目

昨日と同じように10:30頃に実家を出て、病院に12時近くに到着。妹がいないので、一人でタスクをこなさなければ。

顔を拭き、化粧水をはたく。
お昼ごはんを食べさせる。
歯磨きと薬を飲ませる。やっと手が空くので私もお昼ご飯。

その後しばらくして、お昼寝。同じような時間帯に私も意識を失っている。

1、2時間してお互いに目覚めた後は、午後のお散歩。車椅子に乗せて、ぷらぷらとあちこちを散策する。ロータリー周りの植え込みの花々が美しい。

髪の毛も大量に抜けてきている。放射線治療の副作用だ。一度に抜けるので、頭の後ろでは抜けた髪の毛が絡まって団子状になっているので、丁寧に生きている髪の毛を団子からほどいた上で、きれいに櫛でとく。周りで見ている人たちみたいに、ほとんど無くなってしまうのかなぁ。女性だけに嫌がるだろうなぁ。

散策から帰ってきた後は、しばらくそのまま起きている。18:00になると夕食が来るので、食べさせる。
19:00近くになって、妹が戻ってくる。みんなの分の夕飯も買ってきたようだ。

毎週火曜日に脳外科の先生の診断があるので、次回は月火と休みを取って来週来ることにする。脳外科の先生と今後の方針などを、話しておきたいと思う。

母親に、来週来るね、と言って19:30過ぎに病院を出て、自宅に着いたのは23時過ぎ。
posted by esese at 23:52| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

元気になった

10:30近くに実家を出発して、病院に12時近くに到着。

3週間ぶりに診た母親の顔は、赤みが差しとても元気そう。話の受け答えも十分に出来て、最後に見たときとは打って変わって、別人。まだ完璧にいままでどおり、と言うわけではないけれども、それでも意思疎通が出来るし、笑いも出る。一安心。
6/5で放射線治療が終わったので、今後は1、2週間後にMRIを取る予定。

それまでには、足腰をしっかり鍛えなおすリハビリをしなくては。

これまでずっと妹が来てくれていたのだが、私が来たということで、一旦自宅に帰ることになる。病院に着いたら、何をしないといけないかを一通りヒアリング。夕方高速バスで帰っていった。

母親に夕食を食べさせたあと、ベッドを倒すとそのまま寝てしまう。病院を19:30ごとに出て、近くの小料理屋で父親と夕飯。久しぶりに食べた名古屋のうなぎは、皮がパリッと焼かれていておいしかった。
posted by esese at 23:50| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月06日

3週間ぶりの名古屋行き

東京21:20発、名古屋22:56着。

実家近くに着いたのはこれまた日が替わるころ。

降り立った駅の周りでは、かえるの大合唱。こんなの久しぶりに聞いたなぁ。
posted by esese at 23:48| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月23日

自宅へ

昨日と違うのは、自宅へ帰らないといけないということ。明日は、今週2度目のサーバーセンターでの作業がある。

名古屋を20:53ののぞみに乗り、家に着いたのは日が替わるころ。そのあと、1時間半ほど仕事をして、寝たのは2:00。体力持つかなぁ。
posted by esese at 02:02| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月22日

入院二日目

さすがに昨日は車で疲れたのと、駐車場が確保できないので電車で行くことにする。12:30近くには病院に到着。

だが、母親の容態が昨日とは大きく変わっている。平たく言えば、痴呆状態。

昼食を食べるものの、飲みこむ前に口に詰め込んでいる。また、きちんと口が閉じていないので、端からおかゆがだらだらとこぼれている。

痴呆状態は理解していたものの、さすがに身内がこういった状況になると、ショックだ。また、昨日から容態がここまで急変したのも、将来に対しての不安を抱かせる。

看護婦さんからは、今日放射線治療の先生との診断がある、と聞き、少し安心。昨日の主治医の先生の話では機械の都合もあるのでいつから始まるかわからないといった、何のための緊急入院と思わせるような発言があったので心配していた。

13:30過ぎに放射線治療の先生の診断。明日から始めるが、今日は事前の問診とのこと。

治療方針の説明と、副作用の説明があった上で、治療の同意をする。放射線が少しでも効いて欲しいと思う。
ただ、診断の最中も、母親は半分放心状態。病室に戻ってからも、挙動がおかしい。

左手に名前を書いたプラスチックのタグがまかれているが、気になるらしくて必死で外そうとしている。名前が書いてあるタグだから外せないよ、といくら言っていても聞こえている素振りはない。また、点滴の管も気になるらしく、テーピングで止めてあるのを外そうとする。

なかなか落ち着かない時間を過ごしたが、自分たちも食べなくてはということで、15:30に遅い昼食を取る。さすがにこれだけ不規則な生活をしていると、看病する側が倒れそうだ。特に父親はやはり気持ちが安定していないようで、食欲もあまりないようだから心配だ。

食事から帰ってくると、事件が待っていた。血圧を測ったところ、上が192もあるという。また、母親が自分で歩こうとしたらしく、看護婦さんも止めるに大変だったらしい。

そのため、夜寝る前の予定のグリセレブを前倒しで点滴して、少しでも脳の腫れを取る。それと同時にトイレに行くことが出来ていないので、尿の排泄がなかなか出来ていない。そのため、尿に管を通して、自動的に排泄されるようにする。ここでも、痛みからか相当暴れて大変だったということを後から聞いた。

18:00過ぎに、落ち着いたかを確認するために、血圧を測ろうとすると、ここでも大暴れ。血圧計で腕が圧迫されるのが嫌なのだろう。「もういい、もういい」とうわ言のように繰り返して、測らせようとしない。はたから見ると、完全に幼児化してしまっている。

主治医の先生と話が出来るということなので、19:30過ぎまで待つ。が、結局待って話をしても、これまでと同じ。唯一新しいことは、点滴を朝晩の2回ではなく、3回に増やす、ということだけ。やはり、脳外科で無いだけに、十分な説明が受けられないのは残念だ。

昨日と同じく病院を出たのは、20時過ぎ。ふぅ。


今日の母親を見ていて、よく「看護に疲れた」という理由で事件が起こってしまったりするけれども、その気持ちを垣間見る気がした。と同時に、昨日も同じやりきれなさを感じた。

私の中では母親のイメージはそのほとんどが怒っているものだ。小さい頃にはすぐビンタを叩かれ、お尻を叩かれ、今にして思えばストレスを子供に対する八つ当たりで解消していたのではないかと思うくらい。結婚する前にも大げんかをして、それ以来まっとうに話をする気がなくなってしまっていた。

そんなイメージを持っている人が、こんなに弱々しく、またきっと目前にいる私のことも良くわからないような状態になってしまったこと自体が、信じられない。もっと昔のように、怒りまくるくらい元気になって欲しい。


今となっては相当昔。私の子供がまだ赤ちゃんだった頃に、日々成長して行く姿、引っかき傷があっても翌日にはもう直っているその回復力に、生命の神秘のようなものを感じた。

今回、高々20cm四方も無いような脳の、ほんの極一部分が押されたりするだけで、昨日まで普通に話をできていた人が、今日は痴呆状態になってしまうという、その精密さに不思議さを感じる。

posted by esese at 20:33| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月21日

病院にて

10:50に病院に来るように、ということなので、10:30頃に到着。1週間に一度回診に見える脳外科医の先生との診察予定。だがなかなか始まらないうちに、母親は気分が悪くなりソファーで横になってしまった。そのうち、看護婦さんが診察室の中のベッドで横になっていたら、と勧めてくれたので、好意をうける。

何度か、看護婦さんにまだですか?とプッシュをかけているうちに、先生がちらりと見てくれて、全員召集がかかる。12:10。

「MRIを診た。今は頭が痛いはず。気持ちも悪いはず。緊急入院が必要だ」

は?緊急入院?いきなりですか?という気持ちで一杯。
そのあと、先生が説明をしてくれる。

「脳が腫れている。まずは点滴でむくみを取り、放射線治療が必要。脳内に明確に見えるところだけで、4箇所の腫瘍があり、現時点ではガンマナイフは不可能」

その後は、ひたすら入院の準備ができるのを待つのみ。20から30分くらいは待っただろうか。病室が確保できたので、ストレッチャーで移動。すぐに脳の腫れを取るグリセレブ、栄養剤としてのソルデム3Aという2つの点滴が始まる。

13:20に、もともとの肺がんの時の主治医の先生が来て、家族は別室に呼ばれ症状の説明を受ける。

脳への転移が4つ見られる。また追加して、がん性の髄膜炎も併発している。

あとの説明は、脳外科の先生から聞いている通り。肺がんの先生なので、説明内容は、脳外科の先生がカルテに書いたものがベースになっている。
脳への転移のことは、すでに聞き及んでいたのでそれなりに覚悟はしていたものの、髄膜炎については予想もしていなかった。

脊髄にがん細胞が入り込んでいるので、今後どこに転移するかわからない。また、完治はしない。薬の治療が効くかもしれないが、長くて2〜3年、短いと数ヶ月。

こんな急な展開で、母親の余命を聞くことになるとは思わなかった。どんなに長くなったとしても、あと5年は無いのだろう、ということだけははっきりと理解した。が、このあとどうする、という具体的な行動は全然見えてこなかった。

先生との説明が終わったあと、しばらく父親と話をする。父親としては、元から定期健診を受けていたので、もっと早く見つかっていたはずという思いと併せて、脳外科の先生が常駐していないこの病院にかかるのは、どうも納得感がないようだ。

その後、再度今日最初に見てもらった脳外科の先生と転院の可能性を含めて話をさせてもらう。

先生によると、
「放射線による初期治療はこの病院でやらないとだめだ、全能照射で細かい腫瘍や髄膜炎などの治療を行ったほうが良い。大きい腫瘍は脳の奥にあるので、出来るだけ外科的な手術はしたくない。全能照射で10回程度かけると良くなる場合がある。良くならない時には放射線が効かないということ。残念ながら2割くらいは効かない人がいる。
昔は肺がん、乳がんなどで無くなるケースが多かったものの、今はそれらを直すことができるようになってきている。その代わりに、脳転移の可能性が高くなり、脳転移した患者が増えている」
とのこと。

そういった説明を受けて、父親もある程度納得して、このままお世話になることにする。

15:30ごろに一旦入院の準備のために父親と妹は帰宅。私は残って入院手続きなど。母親も半分寝ているため、何もすることが無い。うとうととしてしまった。

19:00近くになって、父と妹が戻ってくる。夕飯を母親と付き合って、面会終了の20:00頃に病院を出る。

途中夕食をとって、実家に戻ったのは22:30。

長い一日だった。
posted by esese at 23:18| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月20日

名古屋へ

サーバセンターを出たのが20:15。何とか名古屋からの終電には間に合いそうなので、今日帰ることにする。

夜が遅いので、お弁当を買い込む。深川めし。

080520-01.jpg080520-02.jpg

20:50発ののぞみに乗る。のぞみに乗るなんて、何年ぶりだろう、と思う。たいてい名古屋に行く時には、帰省。その時には車を使っていたので、のぞみに乗る機会なんて無かった。新幹線自体、最後に乗ったのはこのときかな。

名古屋には22:30に到着。さすがにのぞみは早い。感覚的には名古屋まで2時間なのだけれども、1時間40分で着いてしまうなんて。
posted by esese at 23:00| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月19日

名古屋行き準備

夜な夜な、名古屋行きの準備。

スーツは1着でいい。下着は2日分、シャツはポロシャツとYシャツを1枚ずつ。全部をかばんの中に詰め込むとかなり一杯に近い。
これに、あと会社で必要となる資料と、ノートPCを詰め込まないといけないなんて。

でも、何とかかばん一つで行けそうなので、ちょっとうれしい。
posted by esese at 22:33| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月18日

妹からの電話

めずらしく、妹が電話をかけてきた。

母親の容態がおもわしくないらしい。3年前に肺がんを患って、その後特に転移も無くこれまで過ごしてきた。この間のGWにも千葉まで来てもらっていたのだけれども。

5/12に脳のMRIを取って、5/14に脳外科の先生に診てもらう予定だったのが、先生がいなくて、21日になったらしい。どうも、脳への転移があり、ガンマナイフなどで切る必要がありそうなので、このまま今の病院にお世話になるのか、ガンマナイフの手術経験を多く持っている病院にお世話になった方がよいのか、それも併せて先生と相談してくる予定、とのこと。

であれば、行かないわけにはいかない。20、23日は顧客と一緒にサーバセンターの作業が入っているけれども、幸い21、22日は予定が入っていない。急だけれども休暇申請を出して、帰ることにする。
posted by esese at 22:22| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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