2008年05月21日

病院にて

10:50に病院に来るように、ということなので、10:30頃に到着。1週間に一度回診に見える脳外科医の先生との診察予定。だがなかなか始まらないうちに、母親は気分が悪くなりソファーで横になってしまった。そのうち、看護婦さんが診察室の中のベッドで横になっていたら、と勧めてくれたので、好意をうける。

何度か、看護婦さんにまだですか?とプッシュをかけているうちに、先生がちらりと見てくれて、全員召集がかかる。12:10。

「MRIを診た。今は頭が痛いはず。気持ちも悪いはず。緊急入院が必要だ」

は?緊急入院?いきなりですか?という気持ちで一杯。
そのあと、先生が説明をしてくれる。

「脳が腫れている。まずは点滴でむくみを取り、放射線治療が必要。脳内に明確に見えるところだけで、4箇所の腫瘍があり、現時点ではガンマナイフは不可能」

その後は、ひたすら入院の準備ができるのを待つのみ。20から30分くらいは待っただろうか。病室が確保できたので、ストレッチャーで移動。すぐに脳の腫れを取るグリセレブ、栄養剤としてのソルデム3Aという2つの点滴が始まる。

13:20に、もともとの肺がんの時の主治医の先生が来て、家族は別室に呼ばれ症状の説明を受ける。

脳への転移が4つ見られる。また追加して、がん性の髄膜炎も併発している。

あとの説明は、脳外科の先生から聞いている通り。肺がんの先生なので、説明内容は、脳外科の先生がカルテに書いたものがベースになっている。
脳への転移のことは、すでに聞き及んでいたのでそれなりに覚悟はしていたものの、髄膜炎については予想もしていなかった。

脊髄にがん細胞が入り込んでいるので、今後どこに転移するかわからない。また、完治はしない。薬の治療が効くかもしれないが、長くて2〜3年、短いと数ヶ月。

こんな急な展開で、母親の余命を聞くことになるとは思わなかった。どんなに長くなったとしても、あと5年は無いのだろう、ということだけははっきりと理解した。が、このあとどうする、という具体的な行動は全然見えてこなかった。

先生との説明が終わったあと、しばらく父親と話をする。父親としては、元から定期健診を受けていたので、もっと早く見つかっていたはずという思いと併せて、脳外科の先生が常駐していないこの病院にかかるのは、どうも納得感がないようだ。

その後、再度今日最初に見てもらった脳外科の先生と転院の可能性を含めて話をさせてもらう。

先生によると、
「放射線による初期治療はこの病院でやらないとだめだ、全能照射で細かい腫瘍や髄膜炎などの治療を行ったほうが良い。大きい腫瘍は脳の奥にあるので、出来るだけ外科的な手術はしたくない。全能照射で10回程度かけると良くなる場合がある。良くならない時には放射線が効かないということ。残念ながら2割くらいは効かない人がいる。
昔は肺がん、乳がんなどで無くなるケースが多かったものの、今はそれらを直すことができるようになってきている。その代わりに、脳転移の可能性が高くなり、脳転移した患者が増えている」
とのこと。

そういった説明を受けて、父親もある程度納得して、このままお世話になることにする。

15:30ごろに一旦入院の準備のために父親と妹は帰宅。私は残って入院手続きなど。母親も半分寝ているため、何もすることが無い。うとうととしてしまった。

19:00近くになって、父と妹が戻ってくる。夕飯を母親と付き合って、面会終了の20:00頃に病院を出る。

途中夕食をとって、実家に戻ったのは22:30。

長い一日だった。
posted by esese at 23:18| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 闘病生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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